昨日はPETの話題は終わりにして、今日からは別の話題を書いていくと書いたけど、もう少し、PETについて書いていくことにする。

PETにはガン検診の他に、心臓検診、脳検診の二つの検診がある。それぞれ、使う薬剤が異なっていいるので、同時に調べることはできないらしい。

クリニックによっては、泊りがけでPETで可能な検診を全て行うコースを設けているところもあるようだ。
僕が検診を受けたクリニックでは、そのようなコース設定はないが、地方から検診に来られた方は、ホテルに泊まって、毎日、クリニックに通って検診を受けるらしい。


僕の検診結果は約10日後に自宅に書面とCD−ROMで届けられる。

大きな楽観と少しの不安。

もし、ガンが見つかったらどうしよう。

誰にでもガン細胞はあるらしいから、PET検診を受けると必ず見つかるのではないかと思う。

ただ、健康な人はすぐに正常細胞がガン細胞を撃退してしてしまうので大事には至らない。

ある程度のガン細胞の集積が見つかった場合は要注意だ。

その場合でも、まだ、ガン患者とは言えないのかも知れないが、そのガン細胞が発見された場所は、将来、ガン患者として認定される危険をはらんだ場所だということだ。悪性度が高くなり易い場所で見つからないことを祈っていいる。

ガン細胞を見逃されるのは嫌だが、発見されるのも嫌だな。

会社の人にこの話をしたら、受けなきゃ良かったのにって言われた。

心配していると、本当に病気になるよって言われた。

一理あるなって思った。

その人は、人間ドッグどころか、ごく普通の健康診断も受けるのは嫌だそうだ。

よほどの楽天家なのか、それとも、ものすごく臆病なのか… 前者なのだろう。

僕としては、事の次第を明らかにできる手段を選択できるのに、知ろうとしないで放置しておくほうが精神的に重荷になるような気もするのだが。

ずーっと、なんとなく漠然とした心配をし続けられるほど僕は強くない。

怖いけれども、真実を明らかにして、結果がよければ心から安心して晴れ晴れとすればいいし、もし、結果が悪かったら、ひとしきり泣いたら、毅然として、立ち向えばいいと思う。

戦うのではない。後悔しないように物事をおこなうということである。あの時こうしていれば、誰かが言ってくれればよかったのに…なんて思わないようにすることだ。他人を責めるは論外。自分を責めるようなこともしない。

でも、すべての責任は自分にある事を自覚し責任を持つのだ。(実はこれは、妻の受け売り 自分で書いていて何を言っているのかわからなくなりそう)


あるがん患者の方がご自身のHPで“一日一生”だと思って生きているって言っていた。

毎日毎日、翌日への積み残しなく生きているのだそうだ。

寝るときはもう二度と目が覚めなくても満足だという。今日を生かされた感謝と共に眠り、朝、目覚めたら、新しい人生をもらったことに感謝して一日過ごすらしい。

すごい、境地だな。(そのHPの主宰者さんはまだ若い。でも余命宣告を受けた30代の人。残酷すぎる。)
無理なくそう思えるようになったら、悟りを得たようなものかな。【そのHPの主宰者さん、その境地を持ったまま必ず良くなって下さいね】

(;゜゜)ワーッ! ヾ(≧∇≦)〃ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!! 僕はそんな境地はいらんから健康でいたい!! 

( ´ρ`)アァ- とりとめない日記になってしまったな。

また明日〜〜〜

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