みなさん、さようなら。

っていきなり日記をやめるわけではない。「映画レビュー」でこの映画にはリンクできないので、自力で書き込んだだけである。

■2004年ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞ノミネート
■2003年カンヌ国際映画祭・最優秀脚本賞、最優秀主演女優賞受賞
■2003年ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀外国映画賞受賞
■2003年トロント国際映画祭最優秀カナダ映画賞受賞
■2003年ヨーロピアン・フィルム・アワード最優秀インターナショナル映画賞受賞
■2003年サンディエゴ映画批評家協会賞外国映画賞受賞
■2003年トロント映画批評家協会賞最優秀脚本賞受賞

この映画は末期がんになった男性を取り巻く物語だ。

気になるのはガンになったらさようならとは限らないんだけどな。

ま、患者自身の問題なんだ。

どう取り組むかで結果が変わってくる。

「死ぬまでにしたい10のこと」の主人公のように一切治療をしないで残された人生を謳歌するのもひとつの道。
でも、彼女も死ぬことを前提としていた・・・ 
ちょっと違うと思うんだけどな。

一生懸命、治療に専念するのも道。

ようは患者本人が後悔しないことが何よりも大事だと思う。

周囲の人間は、患者自身の迷いを取ってあげることが最大の看病だと思う。

つらい選択をしなければならないこともあるかもしれないが、考え方が暗くなるとガンというクソッタレ野郎に、振り回されて図に乗られるだけだと思う。

人間にもいる、どうしようもない人達とガン細胞の行動パターンは似ていると思う。

いずれにしても破滅への道なのだが・・・

宿り主を取殺したらがん細胞も生きていられない。自分たちの生活基盤の秩序を破壊したら自分の首も絞まることがわからないテロリストや、かわいいところでは不良少年と同じだ。

僕が言いたいことは、どれだけいい人生を過ごすことができたかと言うこと。

長生きできても不幸続きじゃね。

QOLの向上こそが大事なのだ。

これは何も病気になった人に限ったことではないのだ。

誰だって人生で1回だけ死ぬことができる。

死ぬ原因などどうでもいいではないか。

死ぬまでにどれだけ人生を楽しめたか、どれだけ成長できたかが、これこそがこの世に生まれた意味なのだと思う。

ガンになるということは、スピードラーニング、高速学習のスイッチがはいったというだけのことかもしれない。

そう思うと、がん細胞にも、腐った不良人間どもにも感謝すらできるではないか。

ガン細胞は、その人がガンだと診断される数年前から地道に増殖をするらしい。その間にも宿り主のNK細胞による攻撃によって、かなりの犠牲者(細胞)を出しながらも一歩一歩、宿り主を破滅させるために前進を続けるらしい。恐るべき執念だね。

この映画もそうだけど、有名になった「死ぬまでにしたい10のこと」でもそうだけど、末期がんの人の壮絶さを描いていない思う。

描いてしまったら、一般受けしないのは明白だけどね。

末期ガン患者で正気で周りの人と話ができる人などまれじゃないかな。

モルヒネで眠っているか、もしくは錯乱しているか・・・

薬が切れていれば、激痛でのた打ち回っていて、穏やかに話どころではないのではないかと思う。

どちらの作品も観念的過ぎるような気がするな。

これを見て、治療を放棄する人が増えることがないことを祈る。

僕的な意見なので、違うって言わないでね。

この世に間違いなんてないんだから。ただ正解が多すぎるのだ。

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